全部サビ時代の音楽は、実は「最先端の原始」かもしれない

 


令和の音楽って「原点回帰」してない?って話



最近の音楽って、なんか全部サビみたいじゃない?

いきなりクライマックスから始まって、そのまま突っ走って終わる。AメロとかBメロとか、どこいった?みたいな曲、めっちゃ増えてない?


最初は「テンポ早っ」「展開なさすぎ」って思ったけど、よく考えたら、これってもしかして――原点回帰なんじゃね?って思ったんです。


で、考えた。


「音楽の“原点”ってなんやねん?」


って。





カノン進行とボレロの呪い



まず最初に思い浮かんだのが、パッヘルベルのカノン。あの有名な「タララ〜ン、タララ〜ン」ってやつ。結婚式でも運動会でもとりあえず使われがちなやつね。


あれ、ずーーっと同じコード進行を繰り返してるだけなんですよ。


D→A→Bm→F#m→G→D→G→A(これが8小節、永遠にループ)


でも、飽きない。不思議と気持ちいい。むしろ聴いてるうちに、どんどん感動してくる。これって、いまのYOASOBIとか、ボカロの曲構造と似てない?


メロディが少しずつ上に乗って、音が重なって、クライマックスに向かっていくあの感じ。「展開で魅せる」というより、「繰り返しで酔わせる」。これって、現代音楽の本質じゃね?って。


同じような例で、ラヴェルのボレロもそう。あれも同じリズムとメロディを延々と繰り返して、最後にドカーン!って終わる。楽器編成だけで感情を高めていくという職人芸。





昭和歌謡はまるで一人芝居



で、逆に昭和の音楽ってどうだったっけ?って思い出すわけですよ。


松田聖子とか中森明菜とか、あのへんの曲って、Aメロ・Bメロ・サビが全部別人格みたいな構成してる。Aメロはしっとり語って、Bメロでテンション上げて、サビで一気に開放。まるで舞台演劇。3分間の人間ドラマ。


中森明菜の「飾りじゃないのよ涙は」とか、あれ聴いて「構成完璧やな!」って唸る人いるけど、いまの若者に聴かせると「なんか話長くない?」って顔されることもある。


そう、**展開が多すぎると、逆に“集中力が持たない”**んですよ、今のリスナーって。





TikTok世代は展開を求めてない



現代音楽って、5秒以内に掴まないと即スキップされる。YouTubeショート、TikTok、Instagramリール――どれも最初が命。


だから最近の音楽は「とにかく最初からサビ!」を意識してるし、もう構成なんて後回し。むしろ**構成なんて“ない方がいい”**くらいになってきてる。


曲の冒頭に「♪ねぇダーリン」って叫ぶYOASOBIの「アイドル」とか、あれはまさに“キャッチーなサビから始まる構造”の極致。


そりゃそうよ、今どきAメロで「話をゆっくり始めて…」なんてやってたら、誰も最後まで聴いてくれん。





でもそれ、原点に戻ってない?



ここでふと思う。


じゃあ、繰り返し重視で、短くて、キャッチーな曲って、過去に存在してなかったの?

いや、むしろ音楽の始まりって、そういうもんだったでしょ。


民謡だって、わらべ歌だって、下手したら雅楽ですら、同じフレーズの繰り返しで出来てる。感情の盛り上がりとかじゃなくて、「耳に残る」「一緒に歌える」ことが第一だったはず。


だから、現代の「全部サビっぽい音楽」って、めちゃくちゃ原点回帰してるとも言えるわけ。


しかも今はDAWとかAIとか使って、「どうやったら脳汁が出る音になるか」まで計算してる原点回帰。ある意味、原点の“最適化”なんだよね。





複雑だった昭和から、シンプルな令和へ



昭和の音楽は、歌い手の表現力を引き出すための構成美だった。


つまり、歌手が“芝居”をするために、曲に起承転結が必要だった。だからサビの爆発が映えるし、ドラマがある。


でも今は違う。聴く人の集中力はスマホの画面と戦ってる。長いイントロなんていらない。サビで泣ける必要もない。1分でいいから、気持ちよくなれれば勝ち。


それってつまり、**「令和の音楽は、令和のリスナーに合わせた進化型原点回帰」**なんだと思う。





「Aメロなんていらん」時代は悪いこと?



たまに「最近の音楽は深みがない」とか「全部サビで飽きる」とか言う人いるけど、それって単に時代が変わっただけ。


だって、ラーメン屋だって今は「全部のせ」より「一杯500円で最高の一口」みたいなミニマル路線も人気でしょ?

音楽もそれと一緒で、豪華なフルコースじゃなく、最高の一口だけ味わえればいいって価値観が生まれてる。


もちろん、ベートーヴェンとかYMOとか、じっくり聴かせる音楽も必要だし、評価されてほしい。

でも、YOASOBIもAimerも米津玄師も、「原点の再発明」をしてると思えば、むしろ面白くない?





結論:原点に戻ったけど、戻ってない



令和の音楽は、たしかに原点に近いところに戻ってる。

でも、それは「昔に戻った」のではなく、「昔のエッセンスを現代技術と時代感覚で再構成した」結果。


たった8つのコード進行で人は泣けるし、

30秒のループで心は動く。


それって、音楽の本質が今も変わってないってことじゃない?





おまけ:昔の曲も、実は全部サビだった説



最後に言いたいのはこれ。


「全部サビ」って、令和だけじゃなく、

パッヘルベルのカノンも、エルガーの威風堂々も、ラヴェルのボレロも、ある意味「全部サビ」。


つまり、「いい音楽」はどの時代も、最初から最後までクライマックスなんだよ。

それをどうやって表現するか、見せ方が変わってるだけ。


だから、「昔のほうがよかった」とか「今は軽い」っていう比較は、もういいじゃん。

音楽はいつだって、時代の空気に寄り添って、ちゃんと進化してる。




というわけで、今日も“全部サビ”みたいな曲を聴きながら、ふとカノンのコード進行が頭に流れてくる。

それは令和でも昭和でも、根っこはたぶん、同じなんだよね。


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