この国は平等の国だが、公平な国ではない——女性枠という名の逆差別

 この国は平等の国だが、公平な国ではない——国公立大学の「女性枠」はおかしくないか?


この国は平等の国だ。でも公平な国か?って聞かれたら、うーん……ってなる。


大学入試に関して言えば、試験問題はみんな同じだし、点数で合否が決まる。これは平等だ。でも、その結果に「男女差があるから是正しよう」って言って、女性枠を設けるっていうのは、ちょっと違うんじゃないか。


しかもそれが私立大学じゃなくて、国公立大学で行われるってなると、「いやいや、ちょっと待てよ」と言いたくなる。



私立は勝手にやればいい。でも、国公立は違う。


まず最初に確認しておきたいのは、「私立大学が女性枠を設ける」って話だったら、そこまで文句はないってこと。だって私立は経営的にも独立してるし、方針も自由。経営判断で「もっと女子を増やしたい」とか、「女性研究者を育てたい」とか、そういう理念を掲げるのは自由だと思う。それで志望者が集まらなかったら、それはそれでリスクを背負うわけだしね。


でも、国公立大学って話になると、これは税金で運営されてるわけですよ。つまり、全納税者からお金を集めて、運営してる大学なわけ。そこが「女性枠」を設けて、「男は何点以上でも落ちるけど、女は何点でも入れる」なんて選抜をやったら、それはもう公的な差別になるんじゃないか?


「いや、それは言い過ぎでしょ」って言う人もいるかもしれないけど、逆に考えてみて。「男性枠」ってのがあったら、どう思う? 女性が成績上でも弾かれて、男性が優遇される仕組みがあったら、それって明らかに問題視されるよね? 女性に対してそんなことをしたら大炎上する。でも、逆だったらなぜか正当化されるって、おかしくない?



結果が不平等だから公平じゃない?それってどこまでアリなの?


女性枠を正当化する人たちの主張の根拠って、こういうことだよね:


「今の社会は女性にとって不利な構造がある。だから、受験の機会は平等でも、結果が偏ってしまう。それを是正するには、何らかの制度が必要だ」


要するに、「平等なルールで戦っても、出てくる結果が不平等だから、それは“公平じゃない”んだ」って言いたいわけ。でも、それってかなり危険な発想でもある。


そもそも、「平等」と「公平」ってのは違う概念だ。

平等(Equality)=みんなに同じものを与える

公平(Equity)=違う立場の人に必要なサポートをすることで、結果として平らにする


言葉としてはそうなんだけど、「公平」を名乗って好き勝手やると、それは**“平等を壊す口実”**になりかねない。


だって、「結果が不平等だから、枠を作ります」ってことが認められるなら、たとえば学力に差が出てる地域に「○○県枠」とか「非進学校枠」とか、なんでも作れることになる。で、それって本当に“公正”なの?



「女性=弱者」って決めつけ、むしろ失礼じゃない?


もう一つ気になるのは、こうした制度が、女性自身の能力や意欲をナメてるように見えること。


たとえば、「女性は社会的に不利だから、ハンデを与えましょう」って言われて、素直に「ありがとう」って思えるか? 本当に頑張って点数を取った女性にとって、「ああ、この子は女性枠で入ったんだな」って見られるのは、むしろ侮辱に感じるんじゃないか?


女性は別に障害者じゃないし、子供でもない。なのに、“守られる存在”として制度で優遇するのは、ある意味で差別の裏返しだと思う。こういう「善意のふりをしたラベリング」は、かえってジェンダーギャップを固定化させる。



憲法14条と“公共性”の話


ここでちょっと真面目な話をすると、日本国憲法14条にはこう書いてある:


「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」


はい、性別による差別は禁止です。でも、過去の判例なんかを見ると、「合理的な区別」はOKとされているんだよね。たとえば障害者雇用とか、女性専用車両とか。ただしそれは、明確な不利があって、それに対応するための“合理性”があるときに限る


じゃあ、国公立大学の入試において、「女性が明確に差別されている」って、どれくらい根拠があるの? 本当にその“区別”に合理性があるの? という問題がある。



「性別じゃなくて、環境を変えろ」


そもそもさ、もし本当に「女性が理系や大学進学に進まない」って問題があるとするなら、それはもっと手前の話——たとえば中学や高校の段階での進路指導だったり、社会の意識の問題だったりするわけで、「入試の段階で枠を設ける」ってのは、かなり場当たり的な対応だと思う。


環境を変えずに枠だけ作っても、それは単なる見かけの数字合わせ。大事なのは、性別を問わず挑戦できる社会を作ること。そのために必要なのは、枠じゃなくて、空気を変える努力や教育の改善なんじゃないか?



結論:「税金で性別優遇」は筋が通らない


もう一度言うけど、私立大学が勝手に女性枠を設けるのは別にいいと思う。経営判断だし、理念も自由だ。でも、国公立大学がやるのはアウトだろうと。


なぜなら、

そこに使われているのは国民の税金であり、

本来は「中立」であるべき機関が、

「性別」で合否に差をつけるのは、

憲法にも反する可能性があるし、

社会的にも不公平感を生むから。


「平等の国」が「公平」を求めすぎて、結局誰にとっても不公平な社会になっていく。そんなバランスの崩れた社会で、本当に「納得できる教育」は実現するのか?


少なくとも俺は、そうは思えない。

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