「それ、ほんとにハラスメント?」〜気分次第で人を裁く社会の怖さ〜

 


「それ、ハラスメントですか?」〜気分次第の被害者社会に物申す〜



最近、「それハラスメントですよ」とか「不快に感じたのでやめてください」とか、やたらと聞くようになった。

で、こっちも「え、今のもダメだったの?」と内心ビビるわけです。もう世の中、“地雷原”を歩くゲームかよってくらい、何がNGなのか分からない。


もちろん、本当に悪質なハラスメントがあるのも事実。セクハラ、パワハラ、モラハラ…中には「お前それ犯罪だろ!」ってレベルのやつもある。それはもう完全にアウト。社会として取り締まって当然だし、被害者を守るのも大事。


…なんだけど。


最近の風潮って、ちょっと行きすぎてない?

というか、「それハラスメントかどうかは“受け手がどう感じるか”で決まる」って論理、冷静に考えたらめちゃくちゃ怖くない?



「誰が言ったか」で変わるハラスメント判定?



たとえば、ある会社での話。

AさんがBさんに「最近ちょっと疲れてる?」って声をかけたら、「容姿に関するコメントはセクハラです」って怒られた。えぇ…マジで?


で、驚くのが、そのBさん、別の日にはCさん(お気に入りらしい)から「なんか今日色っぽいね〜」って言われて、めっちゃ笑顔で「え〜嬉しい〜♡」とか言ってる。

もうね、何がセクハラで何が雑談なのか、完全に“人による”のよ。


これがまかり通ると、「発言内容」じゃなくて「発言者の属性(性別、年齢、好感度)」でOKかNGかが決まっちゃう。

そっちの方がよっぽど差別だし、むしろそれこそが新しいハラスメントでしょって思うわけです。



不快だったら全部アウト?それでいいのか?



最近よくあるのが、「本人が不快に感じたら、それはもうハラスメントなんです」という決まり文句。

いやいや、それってつまり「感じ方次第で他人を加害者にできる」ってことでしょ?

そんなふわっとした基準で人を裁くとか、感情を武器にした魔女狩りじゃないですか。


たとえば、


  • 「この書類、もっと丁寧に作ってね」→パワハラ
  • 「急に休むのは困るよ」→モラハラ
  • 「その服、似合ってるね」→セクハラ



こんな状況、もう何も言えないよ…。


「上司は部下に何も言えない」「異性に話しかけるのが怖い」「飲み会に誘っただけでセクハラ扱い」ってなると、コミュニケーションが全部“自主規制”になっちゃう。それって本当に健全?

指導も雑談も、全部“沈黙”が安全って時代になってきてる。



「被害者ポジション」が最強カードになってしまった



もっとヤバいのは、「私は被害者です!」ってポジションが、ある種の“特権”になりつつあること。

「自分は嫌な思いをしたんです!」と声を上げれば、相手を加害者として糾弾できる。

どんなに悪意がなかったとしても、言い訳は通用しない。説明しようとすると「逆ギレ」「自己弁護」「二次加害」って言われる。


もうね、正論も通らない。謝るしかない。しかも“納得するまで”謝れ。

それってまさに、情緒的パワープレイだよね。


本当に深刻な被害があるケースと、ただの気分や好き嫌いの話をごっちゃにしてしまうと、結果として「本当に守るべき人の声」まで軽く扱われてしまう。

「どうせまた“被害者ビジネス”でしょ」って、世の中が冷めていく。



「感じ方」の独裁じゃなくて、線引きをしよう



人間だから、感じ方に個人差があるのは当たり前。

でも社会ってのは、“共通ルール”があってこそ機能するもんでしょ?

だったら、「これはアウト」「これはセーフ」っていうある程度の基準を、ちゃんと定義する必要がある。


少なくとも、「同じことを言われても、気に入ってる人ならOK」「苦手な人ならNG」みたいな、主観全開のジャッジはおかしい。

むしろそういう態度こそ、周囲を萎縮させ、空気を悪くしてるんじゃないかと。



指導=ハラスメントって考え方もどうかしてる



もうひとつ気になるのが、「叱られた」「注意された」「指摘された」=「パワハラだ!」って反応。

もちろん、人格否定とか怒鳴りつけるのはダメだけど、仕事でミスがあったら普通に言われるでしょ。


でも今の職場って、「ちょっと注意しただけでメンタルやられた」とか、「厳しく言ったら人事に呼ばれた」とか、マジでありえる。

そうなると、誰も若手を育てなくなるよ。「自分が潰されるリスクがあるなら関わらない方がいい」って思うの、自然じゃん。


でもその結果、社会全体が“指導なき世界”になって、育たない若者、沈黙する上司、ギスギスする職場が出来上がる。

誰も得しないよね。



まとめ:もうちょい大人になろうぜ



「ハラスメントかどうかは受け手の感じ方です」ってのは、聞こえはいいけど、使い方を間違えるとただの“便利な攻撃手段”になっちゃう。


  • 感じ方には個人差があるのは当然
  • でもそれを基準に人を裁くのは危険
  • ハラスメントを盾にして人を攻撃するのも、十分ハラスメント



ってことはちゃんと認識した方がいい。


一番大事なのは、「悪意があったかどうか」「どんな意図で言ったのか」「文脈はどうだったのか」っていう、“行為全体を冷静に見ること”。


そして、いちいち過剰に反応せず、「まあこの人こういう言い方しがちだけど、悪気はないよね」くらいの受け流しスキルも、社会人としての大事なスキルのはず。


つまり、「相手がどう感じたか」よりも、「どう受け取るか」もまた、その人の力量ってこと。



社会全体がもっと“お互い様”の精神で、ギスギスせずに過ごせたらいいなって思う。

ハラスメント対策は大事だけど、それが人間関係を破壊する道具になっちゃいけない。


「あなたの感じ方は自由です。でも他人を縛る理由にはなりません」

それくらいの常識が、もう少し広がってくれることを願います。


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