ドーピングOKで速くなる未来に、感動はあるのか?

 ドーピングOKのスポーツ大会「Enhanced Games」――この先に待ってるのは“人間の終焉”かもしれない


正直、最初は「ネタだろ?」って思った。


でもマジだった。

アメリカで開催予定の「Enhanced Games(エンハンスト・ゲームズ)」。


内容を簡単に言うと、ドーピングを“禁止しない”スポーツ大会。むしろ「使ってなんぼ」「もっと強く、もっと速く、もっと高く」を極める大会。


従来のオリンピックが「人間の限界に挑む場」だったのに対して、これはもう「人間の限界をぶっ壊す場」。

それがウケて、話題になって、実際に開催されるってんだから、いよいよ世も末感が漂ってきた。


今回はこの“常識ぶっ壊れ系スポーツイベント”「Enhanced Games」をテーマに、人間の倫理観の喪失、そしてこの先に起こるかもしれない未来について、フランクに語ってみたい。



■「禁止じゃなくて推奨じゃん」ってレベルの開き直り


Enhanced Gamesは、オーストラリア人の起業家アーロン・ドスーザが立ち上げた大会。「アンチ・オリンピック」「アンチ・WADA(世界アンチドーピング機構)」とも言われてて、「クリーンなスポーツの欺瞞にもうウンザリだ」ってのが彼らの主張。


裏でコソコソやるぐらいなら、堂々とやろうぜと。


で、彼らが示してるのが、「パフォーマンス向上目的の薬物使用を禁止しない」っていう、いわば“なんでもあり”なスタンス。もちろん「安全性をチェックする」とは言ってるけど、その安全性の基準が何かもまだ曖昧。


いやいや、安全性って言ったって、ドーピングの副作用ナメんなよ、って話。現役時代にステロイドぶち込みまくった選手が、引退後に心臓疾患で亡くなるなんてのは、もう珍しい話じゃない。



■スポーツの「健康」ってどこ行った?


そもそも論なんだけどさ、スポーツって「健康のため」って側面も大きいじゃん?


子どもに運動を勧めるのは、身体を鍛えて健康的に成長してほしいからでしょ?

部活で汗を流すのは、精神力や協調性を育てるためでもあるよね?

それが、「筋肉を増やす薬使ってOK」「テストステロンをブチ込んでも構いません」って話になったら、健康どころか“命削ってナンボ”の世界になっちゃう。


完全に価値観が逆転してる。



■努力じゃなくて「何を使ったか」の勝負になる


スポーツの魅力って、やっぱり「努力の美しさ」だと思う。


毎日早朝から練習して、食事も管理して、睡眠もしっかりとって、それでも結果が出ないことがあって――それでも挑み続ける姿が、観てる側の胸を打つわけじゃん?


でも「Enhanced Games」的な世界では、もはや努力は二の次。


「どれだけ強い薬を使ったか」「どんなトレーニングマシンを使ったか」「どれだけ金をかけたか」っていう“スペック競争”になる。


つまり、勝つための条件は「努力」じゃなくて「リソース」なんだよね。

そうなると、競技の感動は薄れるし、結局は金持ちが勝つっていう、スポーツの平等性まで崩れかねない。



■この先、“義足の方が有利”って時代が来る?


さて、ここからはまだ起こってない未来の話なんだけど、ちょっと考えてみてほしい。


現時点で「Enhanced Games」が義肢や義足の使用をOKしているという公式発表はない。でも、「科学技術を使って限界を超えろ」っていう方向性が続いていけば、そのうち“義足の方が速い”なんて時代が来てもおかしくない。


実際、炭素繊維製のバネ構造の義足は、反発力が強く、ある種の競技では健常者より高いパフォーマンスを出す例もある。

もし「人工の足の方がタイムが出る」となれば、こんな極端な話も出てくるかもしれない。


「普通の足じゃ限界あるから、切って義足にした方がいいんじゃね?」


……っていう狂気の選択が“アリ”になってくる。


もちろん現時点ではそんなこと誰も推奨してないし、社会的にも倫理的にもアウトだけど、「Enhanced Games」が象徴してる“制限のない強化競技”の思想を突き詰めれば、いずれそういう発想に行き着く可能性はある。



■テクノロジーは“神”なのか?


「技術が進歩してるんだから使うべき」

「薬があるなら使えばいいじゃん」

「自己責任でしょ?」


こういう声って、特に若い世代から多く聞く。でもさ、技術はあくまで道具。どう使うかが大事なわけで、盲目的に信仰してしまった時点で、それはもう“宗教”だよ。


どれだけ速く走れるようになっても、

どれだけ筋肉を膨らませても、

どれだけ記録が出ても、


それが“人間らしさ”を失わせるのなら、何の意味があるのか。



■スポーツが「人間の挑戦」でなくなる日


想像してみてほしい。


筋肉モリモリで、肩幅が1メートルある選手たちが、ドーピングで真っ赤になった顔をして100メートル走をしてる。

タイムは9秒台どころか、8秒台に突入。

観客は「スゲェ!」って盛り上がるけど、どこかで冷めてる。


「この人、どんな薬使ってんの?」

「誰がスポンサー?」

「副作用で寿命縮まないの?」


そんな会話ばかりで、誰も“人間としての凄さ”には感動しなくなる。


それってもう、「スポーツ」じゃなくて「人体実験ショー」なんじゃないの?



■じゃあ、俺たちはどう向き合うべきか


もちろん、現代のプロスポーツの裏には色んな闇がある。裏金、ドーピング、利権、汚職……。


それでも、だからこそ、倫理観って大事なんじゃないかって思う。

ルールがあるからこそフェアで、制限があるからこそ人間らしい。

その「人間らしさ」ってのを、スポーツはずっと守ってきた。


Enhanced Gamesがその価値観をぶっ壊すような流れの一部だとしたら、俺たちはそれに対して、明確なスタンスを持つべきじゃない?


「それは違う」と。

「記録より、人間らしさを見たい」と。

「改造された選手じゃなく、人間の努力に感動したい」と。




■終わりに:子どもに見せたいスポーツは、どっち?


もしあなたに子どもがいるとしたら、どっちのスポーツを見せたい?


・薬漬けで記録だけは一流、でも引退後の人生はボロボロの選手

・記録は平凡でも、真っ直ぐ努力して自分を貫いた選手


Enhanced Gamesが問うているのは、記録の新しさじゃない。

テクノロジーの凄さでもない。

「人間とは何か」という問いなんだと思う。


俺たちは今、スポーツを通して、未来の人間像を選ぼうとしてる。


君は、どっちを選ぶ?

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